みなみの出産にあたって |
H611月 |
長女の育休が終わり、9月から仕事に復帰したばかりの時に、「え〜うそ〜」って感じだった。前回、病院に早く行きすぎてしまったので、今回は、もう少ししてから、病院に行くことにした。 |
12月 |
初めて病院に行った日が何日だったか確かな記憶がないが、12月だった。(2人目になるとこんなもんだ。)もう3ヶ月に入っているので、いきなり内診があって、ちょとあわててしまった。 |
1月 |
1月11日、I町の保健センターで母子手帳を交付してもらう。 予定日は、7月11日。育児休業の予定を出さなければならなかった。(育児休業は、満1歳の誕生日までとることができる。)7月20日以降に生まれるのなら、めいっぱい育休をとっても、1学期間は休める。でも、前回のように、1ヶ月も早くなったら1学期の途中になってしまうので、結局、3月31日までとることにした。 |
2月 |
別に秘密にしていたわけではないが、何となく他人に言うのがはずかしくって、職場でも知っている人はごくわずかだった。 前回同様、休日以外の日はつわりもそれほどではなかった。 |
3月 |
前回同様、職場で民宿に泊まりに行くことになった。今回は、もう安定期に入っているということで、だんなさんの許可も出て、ごちそうを食べてきた。(2人目になるとこんなもんだ。) |
4月 |
忙しい毎日を送るが、経過は順調。 |
5月 |
また少し、むくみがでてきた。 この頃には産前休が8週間になっていて、17日から休みに入る。 |
6月 |
10日、NST検査。前回この検査で入院になったので、「入院の用意していこうか。」と冗談を言っていたら、本当に午後から入院になってしまった。長い入院生活の始まり始まり。 前回で入院生活も慣れたもの、今回はすぐに個室の申し込みもする。 今回はもう35週に入っていたので、「前回は36週で生まれても、無事に育ったんだから、もし今すぐに生まれても大丈夫。」という、妙な安心感があった。ここで、入院仲間ができてしまう。 外泊許可が出そうになると、その日のNSTの結果が悪く、とうとう家には帰れなかった。 |
7月 |
先生より「もう7月に入りましたから、いつ生まれても大丈夫です。ご主人と、手術をいつするか相談しておいてください。」とのこと。「それなら、七夕の日にしてください。」平成7年7月7日、帝王切開予定日。 その矢先、3日午前中のNSTの結果が悪い。「今日の夕方から切ります。」しかし、午後からもう一度NSTをとってみるとそれほどでもない。その日は他にも2件の手術があり、「午後の結果がそれほど悪くなかったのですが、これ以上のばす必要もないので、明日の正午から切ります。」とのこと。手術用に注射までしたのに、手術中止。 ”777”ならずと悔しがるが、でも、明日は私の誕生日。「親子で同じ誕生日もまっいいか。」 そして運命の7月4日朝・・・いつから降り出した雨だろうか。川もあふれ、交通も麻痺状態になる。あさ8:00、先生が病室まで来られ、「道路が通れなくて、病院まで来られない看護婦さんがあります。夜勤明けの看護婦さんがいる間に、切ってしまいましょう。」「えっ、うそでしょう。」慌てて自宅に連絡するが、川があふれて自宅からも来られない。9:00一人淋しく手術室へ向かう。初めてでこんなだったら、泣いてしまうかもしれない。二人目で、二回目でよかった。 9:40、無事(?)、女児出産。 |