撫養街道 ・・・ 1/2
徳島県北部を鳴門から池田まで結ぶ、吉野川北岸の道・・・
●鳴門海峡
●勝瑞城跡
淡路島と阿波の鳴門を隔てる、わずか1300mの海峡に潮流が渦を巻いて流れてゆく。現在は明石大橋と
鳴門大橋が架橋され、徳島と阪神が地続きとなった。鳴門大橋の架かる大毛島には、近年にできた観光ホテル
が多く、突端の鳴門公園も良く整備されていて、行楽には適しているようだ。その大毛島の中程より少し北の
あたりに鳴門の根上り松があるのだが、道から奥まった砂山のような高見にあるため、観光客が足を延ばすこ
とはあまり無いだろうか。
大毛島から小鳴門橋を渡ると撫養で、撫養川から更に旧吉野川に沿って西に上る街道がここら始まる。
併走する旧国鉄鳴門線の金比羅前駅あたりに長谷寺がある。長谷寺の北の高台には金比羅神社があり、阿波
から上る金比羅参りの最初の前神とでも言う所か?長谷寺のややモダンな門構えから境内をうかがうと、少
し面食らう程の立派な銀杏があった。主幹は低い所で欠損しているが、それだけに下枝の奔放な様が際だっ
て見える。また寺院にこれぐらいの巨樹がある事も珍しいようだ。
さらに撫養街道を西に進み、瓶や睡蓮鉢などの大物でも有名な大谷焼きの窯元、阿波大谷を過ぎると大麻
町板東となる。ここには四国八十八カ所の発心の地、第1番霊山寺があり、そしてこの霊山寺の脇から続く
長い松並木の参道を行くと、阿波でも第一級の品格をもった、旧国幣中社大麻比古神社がある。
※松並木は、かつて樹齢5.600年の物が300本以上もあったという。
この大麻比古神社にも大きな楠の神木があり、玉砂利が敷かれた広い境内の真中に陣取った低い樹影が形よ
い。丸く空いた穴にはムササビが住み着いているといい、この大楠なら樹齢500年以上とも思える。
またさらに街道を西に行くと板野郡に入る。板野町の大寺には、県の天然記念物、岡の宮の大楠がある。
撫養街道から少し入った道だが、板野駅に案内板がある。目通り6m程の幹が3本寄り集まったような楠で、
その根周りは24.5mに及ぶ。分岐がもう少し上なら、四国でも1.2の巨樹という、大変立派なもの。
ここで少し街道を引き返し、旧吉野川を渡って藍住町へと向かう。
昔時は天下に知れた暴れ川で、曲がりくねった大きな流れが入り組んで、川伝いに走っていると自分の所在
地がわからなくなる。春日神社にある矢上の大楠は、樹齢1400年とも言われる阿波の最高樹齢の楠で、
根周りは17.8mに及ぶ。樹形はきわめて異観で、低くとぐろを巻いた竜のごとき様相でもあり、ただ残
念な事には枝葉が少なく、繁茂は割に小さい。またこの楠は、上板町にある鳥屋の大楠と距離の測定の目標
とされていたとい事から、前は樹高もかなり高かったのでは無いかと思われる。
ここからまた南に下りた幹線道路を鳴門側に行けば、細川頼春公の造った勝瑞城跡があるが、現在はめぼ
しい史跡は殆ど無く、正に強者どもが夢の跡・・・のようだった。