
| 獅子舞い由来野間神社に伝わる(鳥生より広まる)獅子舞いの起源は、伊勢神宮の 大神楽の流れを汲むものと言われている。昔は当地方には二人立ち、二人立ちとは 頭と前脚をなす者と尻尾と後脚をなす者と二人で舞う「別名四ツ足の舞獅子」が祭礼に 奉納されていた。江戸中期頃学信和尚が祭りを賑やかにするために獅子頭を寄進し たと言われている。 明治の初期鳥生村々民の要望により高山重吉さん(別名シシじゅうさん)実在の人で 実法寺に墓もあり、明治九年の鳥生村反別 順帳同十四年の一筆限帳にも記載され ていますが、上方「伊勢」に赴き四十八通りの流儀のある内の十二通りの舞いと芸を 修得して帰り祭礼に奉納したのが当地方に伝わる獅子舞で有ります。 又、優れた弟子達によって河南十六々村の村々旧野間郡の郷々里々へと指導された のが今治地方の郷土芸能として全国的にも名高い獅子舞いの起りであります。 次に獅子舞いの種目に就いて説明します。 獅子舞いの種目舞いの部では、「練り」「すりがね」「ひよしどり」「曲」の四種類、芸の部 では「さんばそう」「狐」「だいば」「おやす」「ころげ獅子」「立芸」「味噌汁」 「獅子三番ソウ」の八種目合せて十二通りである。現在では全部は行われていない。 東西東西唯今より獅子の口上を申し上げます。獅子の使い別は四十八道り有りと 言えども唯今より此の内の十二通りをごらんに入れます。 (今これは現在行われていない) 「練り」と言うのはユタンの中へ大勢がはいって道路を獅子を使いながら歩く。 「三番ソウ」は子供が二人ユタンの上に立って前に獅子を踊らす方は「すりがね」と 云う切り返しの時に使う獅子が「曲」獅子で有る芸獅子の中に「狐」と云うのがあり、 二人が狐の面を附けて踊る。 「だいば」と言うのは、芸獅子の一種で一人が天狗の面をつけて笹と扇と刀を持って 悪魔払いの舞を舞う。 「ひよしどり」は、ユタンの中に大勢が入って獅子を使う。 「獅子さんばそう」は、「立芸」と同じ太鼓で獅子頭をかぶって刀と鈴と扇を持って舞う。 「ころげ獅子」は、一人がひょっとこ面をかぶってユタンを体に巻き附けて扇を持って 踊り、もう一人がユタンの中に入る。 「味噌汁」と言うのは、道中でユタンの上で味噌をするまねをし汁を獅子に呑ます格好をする。 「おやす」は、ひょっとこおたふくの面附けた二人が休んで居る獅子のユタンの中から 出て来てひょうきんな仕種を演じる。 創始者高山重吉氏の筆頭弟子は高山平助氏であり、重吉の子、治平さんは太鼓の名人で有った。 又、最初に習った人は小山完治さん、伝承者高山平助氏、高部・野間・宅間・山の内・ 脇・宮脇・鬼原等、高山徳治氏は、山の内・神宮・宅間等、 越智林蔵氏は、小鴨部・中村等、 越智鶴一氏は、八丁等之等老師匠の代りに若手の小山松夫さん、高山献吉さん、 渡辺正一さん、窪田琢一さん等が各地に行き指導した今、 鳥生が発祥の地で有るので、主にそれは依って書く野間神社の春の例大祭には 西中学校・矢田・延喜・宅間・野間・神宮 と六連の獅子で賑う。近年は、各連とも抜を競い合うのがよく分る。 |
野間神社 獅子舞の由来より