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道後温泉うんちく

道後温泉発見秘話

 今から3000年も昔のこと。1羽の白鷺が道後の谷に舞い降りました。見ると、白鷺は足に怪我を負っています。岩の間からわき出る温泉に足を浸しています。毎日、この湯に飛んできては足を温めていくのです。数日で白鷺の傷はすっかり良くなり、元気な姿となって空に舞いたちました。これを見ていた里の人たちは不思議に思い、お湯の中に身体をつけたところ、心身ともに爽快となり、身体は温まる。全快する病人も続出し、温泉の霊験を知ることになりました。この話は江戸時代の初めに編纂された郷土地誌である「予陽郡郷俚諺集」にも出てきます。
 道後温泉は白鷺によって発見されました。鷺が降り立ったと言われているのが道後温泉の近くにある鷺谷というところ。この伝説の石を伊予鉄道後温泉駅の近くにある放生園に移しました。高さ一メートル大の石に鷺の足跡らしきものも残っています。からくり時計が出来るまでは、放生池として陶器製の2羽の白鷺が飾られてあり、噴水とともに美しい水をたたえていました。かつては広い池で、御手洗川の水が鷺石のところからしみこみ温泉になるという伝説も残っていたそうです。
 ちなみに白鷺が発見したと言われる温泉は山形県の湯田川温泉、岐阜県の下呂温泉、石川県の山中温泉、和歌山県の椿温泉、島根県の鷺ノ湯温泉、岡山県の湯郷温泉、鳥取県の浜村温泉、佐賀県の武雄温泉など。
 白鷺の姿は道後温泉本館や道後商店街でも数多く見られます。代表は道後温泉本館の太鼓台の上。振鷺閣(しんろかく)という建物の上に羽を広げた美しい姿が見られます。また、本館の階下の垣の装飾として無数の白鷺が羽根を休めた姿で停まっています。道後温泉の暖簾には湯玉とともに片足を上げた鷺の姿が描かれ、神の湯東浴室では砥部焼の陶板による湯に浸かる2匹の鷺の姿を眺めることが出来ます。道後の泉質は硫黄を含んだアルカリ性単純温泉。単純泉といっても何も含まれてい
ないわけではありません。成分が規定の量に達していないだけ。やわらかな湯が単純泉の特長で名湯と呼ばれている温泉が多いようです。湯上がり後のなめらかな肌触りはアルカリ性泉の湯質のため。道後温泉に浸かって美しいマドンナのように変身できることを白鷺が象徴してい
るのかもしれませんね。道後温泉のシンボルとして白鷺は伝説とともに生きているのです。

道後温泉が最古の湯といわれる理由

 日本最古の温泉といわれる道後温泉。その理由は「伊予風土記」に道後温泉、伊予の湯が出てくることから。聖徳太子が594年に訪れたことが記載されているからです。他にも、大国主命や少彦名命が発見したともいわれています。道後温泉以外にも古いとされているのが兵庫県の有馬温泉と和歌山県の白浜温泉。

 この大国主命と少彦名命の姿は道後温泉、神の湯の湯釜や壁画、彫像に描かれています。大きい方が大国主命。小さい方が少彦名命、一寸法師のモデルともいわれています。

 この神々が残した伝説があります。大国主命と少彦名命が伊予の国に訪れたところ、少彦名命が急病に陥りました。そこで大国主命は少彦名命を手のひらにのせ、温泉に入浴し、湧き出る湯であたためたところ、ふしぎにも快癒してもとの健康体に。少彦名命は喜びの余り、石の上に立ち上がって「しばらく昼寝をしたようだ」と叫んで舞いを行ったといいます。

 この少彦名命が喜んで踊った石の舞台が残っています。道後温泉の本館の横、「玉の石」として置かれています。

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