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梅錦(愛媛)

 30歳には、松山に住んでいた。
 デザインプロダクションから独立し、デザイン会社をはじめた頃である。
 久しぶりに大口の依頼があり、ポケットに少しばかりの金が残っていた。どんちゃん騒ぎはできないが、ほんの少しだけの贅沢が楽しめるだけの金額。
 飲み屋に向かう横丁に、小さな酒屋があり、ぼんやりとした照明が灯っている。
 ウィンドーから、桐箱に入った「梅錦・究極の酒」が見える。私を買ってと呟いているようだ。この酒は、前々から気になっていたのだ。
 丁度、梅錦の吟醸が、全国鑑評会の金賞に輝いた頃。それも一緒に購入した。
 桐の箱と酒瓶を抱え、夜の街を練り歩く。日頃、世話になっている呑み屋を回り、酒の味を披露した。自分への慰労とともに、呑み屋への感謝を込めて。
 「梅錦・究極の酒」の研ぎすまされた味は、上品で雑味がない。森の中のせせらぎのような印象だ。爽やかな後口に残る少しの甘味。精神が高揚する感じといえば、いいのか。値段が1万円ということの興味もあったのだろう、うち止めの店で、酒は残り少なくなっていた。
 ひと月ほどのち、その酒瓶に目がいった。仕事は、打ち合わせが長引き、ようやく本格的に進行しはじめた。
 皆から祝福された酒がわずかに残っている。
 残りの酒をコップにそそぎ、ぐいと飲み干した。
 舌に残るほんのりとした甘さ。冷蔵庫にも入れず、そのままに放っておいたせいか、最初に感じたきりきりとした爽やかさは、残っていない。寂しさが全身に拡がる。祭りが終わった後の寂しさ。
 ふっとため息が出た。
 空のコップを流しに置き、仕事に取りかかった。
 これから、祭を仕上げるために。

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