伊予八藩の今治

 江戸時代の伊予国は八藩と天領に分かれていました。

 伊予八藩とは今治藩、松山藩、西条藩、小松藩、大洲藩、新谷藩、宇和島藩、吉田藩。

 現在の今治市は、松山藩と今治藩、幕府の領地でした。

 今治藩の領地は、玉川町や朝倉村の大部分を含んでいますが、野間地区や波止浜地区は松山藩の領地。桜井地区の大部分は幕府領、つまり天領でした。今治藩は他に大島、伯方島、弓削島などの島嶼部、宇摩郡の伊予三島、川之江、新宮村を部分的に含みます。この土地で今治藩三万石の総石高があげられています。

 今治藩の財政は、蒼社川の氾濫や干ばつによる凶作に苦しめられますが、領内は比較的平穏で、一揆なども小規模なものしか発生していません。

 江戸時代は、各藩で殖産政策がとられています。米の生産には限りがあり、干ばつや水害などで予期せぬ減産がみられたからです。今治では、米以外の作物として綿、竹細工などが行われ、民衆と藩の財政を潤しました。魚の干物や塩辛なども名物でした。また、江戸時代中期からは、塩や綿替木綿、宇摩郡からの紙や砂糖などの殖産政策をとりました。

 天領の住民は、各藩への行き来が比較的自由だったため、他の地域との交易が盛んに行われています。そのことが、伊予商人の原型を作り上げたようです。

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