流行作家だった今治藩家老

 今治藩の家老として仕えた江嶋長左衛門為信は、若き日を浪人として過ごしていました。為信は、京都で大田流の軍学を学び、大坂で兵学を講義することで生活の糧を得ていました。平和を迎えた江戸時代初期は、人々の知的欲求が生まれ、様々な書物が刊行されました。それらの書物は、教訓的、実用的な内容で読みやすい仮名混じり文のため、仮名草子と呼ばれました。

 為信は、25歳の時、生所日州之住無名漂泊野人の名前で「身の鏡」を執筆しています。生所日州之住無名漂泊野人は日向国飫肥(宮崎県日南市)出身の流浪の身の上という意味です。「理非鏡」「古今軍理問答」「諸将勲功記」「闕疑兵庫記」などの教訓書・軍記物を次々と出版し、ロングセラーになっています。

 のちに江戸で浪人生活を送り、寛文8年(1668)34歳のおりに、今治藩士・小泉宣安の紹介で、今治藩に馬廻役100石で仕官しました。定時の代には、江戸留守居役を経て、500石取りの家老にまで出世しています。

 仕官後に、仮名草紙は書いていませんが、武家の作法書などを書いています。また、井原西鶴や岡西惟中・大淀三千風とも親交があり、松風軒山水の号で俳人としても活躍しました。伊予国に、はじめて甘藷・さつまいもを伝えたのも為信でした。

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