
|
|
![]() |
|
今治藩は、武術も奨励しました。特に、四国一伝流は、戦国末期に奥州伊達郡出身の南葉一本斎によって今治に伝えられ、藩の武技となりました。 一本斎は、兵法修行のため諸国をめぐり、各地で試合を行いましたが、一度も負けることはありませんでした。四国では、屋島の山中で天狗の一団に取り囲まれましたが、天狗は一本斎の技を評価し「今後は四国一伝と唱えよ」と伝えたといいます。伊予に来た一本斎は、清水の浄寂寺阿弥陀堂に住み着き、多くの弟子にその技を伝えています。 四国一伝流は、棒術を中心に太刀・なぎなたの流儀で武術として全国に知られていたようです。 清水の浄寂寺境内には、一本斎の墓があり「南葉一本斎北窓乱関大居士 四国一伝流祖」と刻まれています。この墓は、おこり病の神様としても知られており、お参りをする人も多いとか。 大正9年(1920)には、四国一伝流350年祭として浄寂寺境内で武術大会が催されました。浄寂寺には、その時の奉納額が飾られています。 また、別宮の南光坊には、四国一伝流の由来を記した碑が残っています。 |
