お家お取り潰しの危機

 今治藩にお取り潰しの危機があったことは、あまり知られていません。
 五代藩主・定郷の世継ぎと見なされていた定温が38歳で亡くなりました。そのため、世継ぎ候補は、定温の子で定郷の孫にあたる吉十郎です。しかし、10歳という若さと、正妻の子ではないことが問題となりました。

 他の家から養子を迎えるという方法も検討されていたのですが、定郷が病にかかり、60歳で死んでしまいます。本来ならば、お家断絶の事態となり、藩はお取り潰しになってしまいます。

 宝暦13年(1763)2月、松山藩と相談した結果、定郷の死を隠し、孫の吉十郎を養子に迎え、当主とする願いを幕府へ提出します。筆頭老中・松平武元や同族の白河藩主・松平定賢からは、手続きの遅さやこのような事態となったことを非難されています。

 幕府は、藩の願い書を承諾し、死んでいる藩主定郷へ出仕差控という謹慎処分を行い、その処分がとけた4月半ばに家督相続の手続きが無事行われ、その直後に定郷が息を引き取ったことにしました。

 吉十郎は、名前を定休と改め、家老たちの援護の下、執政をとることになりました。今治藩はお家取り潰しの危機から救われたのです。

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