今治の飢饉・災害

 藩の財政を脅かす凶作は、構造的なものでした。災害、凶作、飢饉と続く悪循環に手をこまねいて見ているだけの対応は、藩の支配を非力にし、藩の存続に関わります。この状況は、構造改革というかけ声だけで悪政を行う、今の内閣を見る思いがします。

 さて、今治藩の災害を検証してみましょう。火災では明暦3年に市街で大火。寛文2年では250軒が焼ける大火災。元禄14年には松屋町で出火。享保5年には室町で80軒が焼失。享保14年には片原町で大火。天保7年には北新町で30軒の焼失。

 地震では宝暦四年に今治城の石垣が倒れています。安政元年の地震では城郭が破損し、仮小屋を建て、安政四年にも城の内外が破損しています。

 暴風雨や台風では貞享4年に757軒が倒壊。宝永元年には344軒、享保16年には6500石の被害。寛保3年には1万5000石の損害。延享二年には八九軒の倒壊。宝暦7年には1272軒の崩壊。文政9年には倒壊157軒。嘉永3年には1万6000石の損害でした。

 洪水では、享保7年で480軒が流され、享保11年は三の丸の土手と川岸端の石垣が破損。元文4年では倒壊319軒。文政9年は倒壊157軒。

 全国的な飢饉では享保の大飢饉では天候不順と蝗害により、天保7年には雨天続きでそれぞれ1万5000石の損失となっています。
 自然の力に人間はやはり及ばないのでしょうか。

歴史・江戸時代TOPへ

「今治おもしろ百科」TOPへ

ご意見・ご感想などメールの宛先はこちら