伊予国初の種痘

 種痘は、1796年ジェンナーが天然痘の予防のために、牛痘を用いて行なわれたのがはじまり。それまでの天然痘の予防方法は、人痘が用いられていたため、副作用による失敗も多く、危険だったといいます。

 日本における牛痘の種痘は、文政6年(1823)シーボルトによって伝えられ、書籍により全国に伝わりました。嘉永2年(1849)7月にオランダ船によりもたらされた牛痘痂により、オランダ軍医モーニケが通訳の子供3人に接種して、成功をおさめました。長崎在住の佐賀藩医・楢林宗建の尽力があったといいます。

 伊予国では、同年11月、今治藩医だった菅周庵(かんしゅうあん)が初の種痘を行なっています。周庵のもとへは長崎より種痘成功の通知があり、9月に今治藩命で長崎に出向き、種痘術を習得。牛痘痂を今治へ持ち帰り、半井梧菴(なからいごあん)の協力で種痘を行いました。「半井梧菴伝記」に後日談が掲載されていますが、竹内豊助さんが初の接種者ということですが、三男だから試験台となり、長男には種痘を行わなかったとあります。

 伊予国では宇和島藩も種痘に熱心で、弘化4年(1847)に藩主伊達宗城の妹正姫に接種していますが、これは人痘で軽い副作用がありました。

 日本最初の種痘から4ヶ月後に今治で実施されたことは交通機関の発達していない当時では驚異のスピードであり、今治藩の医療水準が極めて高く、進歩的だったことがわかります。

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