愛媛県初の米騒動

 第一次大戦の戦争景気は、一部の人のものでした。多くの人たちは、物価の高騰や増税により、生活は窮迫してきした。 特に、米の価格は投機買いや米の売り惜しみ、買い占めなどにより、暴騰を続けたのです。大正7年(1918)7月下旬、富山県魚津町で漁民の妻たちが町役場に押しかけた後、米屋を襲撃するという事件が起こりました。

 この「米騒動」には、多くの人たちが参加し、全国的な暴動となりました。 この事件は、政治意識の高揚や労働運動の激化などを招き、大正デモクラシーを実現させました。

 さて、愛媛県では、越智郡今治町がはじめとなり、県下10数ケ所に拡がりました。今治の米騒動は、前々日から続いた暴風雨で、漁に出られなかった漁民たちの手により起こされました。8月9日、今治港では、岡山への米の積み出しが行われており、漁民や妻たち数10人は、近くの美保神社に集まりました。積み出し阻止の行動を起こそうとしたところ、不穏な動きを察知した警官により説得。夜になって、町内の米屋に押し入ろうとした一団も警察により、解散させられました。

 県下では、8月14日、町内の米屋を襲った郡中騒動が起こり、翌日の松山では、呉服店と米屋が襲撃されています。21日の宇和島では、米屋襲撃が起こり、全国での買い占めにより、悪名が広がっていた鈴木商店経営の日本酒類醸造株式会社が焼き討ちにあっています。

 第四回全国中等学校優勝野球大会で、今治中学(今治西高)が初出場を決めたのですが、残念ながら米騒動のため、大会は中止となりました。

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