昭和恐慌のはじまり

 愛媛の昭和恐慌は、今治商業銀行の取付騒ぎで幕を開けています。当時の蔵相片岡直温の失言から恐慌が起こる2ヶ月前、昭和2年(1927)1月14日のことです。今治商業銀行新居浜支店と角野出張所に預金者が殺到して支払不能に陥り、その日のうちに休業措置が取られました。

 今治商業銀行に預金者が押し掛けた背景には、前年より続いていた綿糸の大暴落により、綿業を中心とした今治産業が打撃を受けたこと。そのため、貸付資金の回収が困難になり、多額の資金の焦げ付きが噂されていたことにありました。また、旧正月前の資金需要が重なり、銀行に資金が少なくなっていたことが、不安に拍車をかけました。1月24日より休業していた今治商業銀行は、経営再建を図り、日本銀行からの特別融資400万円を受け、8月18日に再開しています。

 今治では、市長や商工団体の幹部が会合し、支援を決議して不安解消に努めました。この間に起こった全国的な金融恐慌、昭和4年のニューヨーク株式市場の株価大暴落に端を発する世界恐慌により、今治織物同業者組合では広幅織物、タオルの五割操業短縮や賃金カットが行われています。また、工場の休業も行われましたが、昭和7年初頭には満州事変を中心とした軍事予算の増額により、景気回復の兆しが見え、秋にはタオル業界の活況となりました。

 現在の今治タオル業界も、中国製タオルにより、打撃を受けていますが、そこは今治人。新しい方法で必ず地域発展を果たすことでしょう。

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