女性の生活・今治スタイル

 かつて、今治の学校参観日では、会服が着られていました。紺を中心とした「うわ服」で、洋装と和装のものがあり、夏服も用意されていました。現在のように、おかあさん方が着飾った参観日ではなく、みんなが平等になるようにという配慮により、つくられた服でした。この会服は愛媛県独自のものだったようです。

 この考え方は、特に年輩の女性に浸透しているようで、周りから浮かない格好が求められます。例えば、ジーパン・トレーナーという格好が普段着とすれば、スカートをはいた外出だと何かあったのかと不審がられるのです。

 これは、今治藩のならいとなった「心学」の影響が残っているためではないでしょうか。心学とは、心のあり方を研究し、社会奉仕を最大の徳とする学問。各々がその身分や境遇に安んじ、協調を第一とする考えです。家訓や商いの経営理念である心学を築いた田中一如は、松山藩士の子供として誕生し、のちに失明したため、家督を譲り、京都で上河淇水に師事。江戸に出て大島有隣に学んで、松山に帰り「心学」を伝えました。今治藩七代松平定剛は、藩士の丹下環に命じ、一如の考え方を今治に広めたのです。

 会服や今治女性の服装は、秩序を重んじるこの考え方に、何らかの関係があるように思われます。

今治人TOPへ

「今治おもしろ百科」TOPへ

ご意見・ご感想などメールの宛先はこちら