越智氏の墓?鯨山古墳

 鯨山古墳は、今治市の西北、馬越の丘陵にある未掘古墳で県指定の史跡となっています。

 半井梧菴著「愛媛面影」には「入り江の中に在る鯨鯢の跳がごとし、因て鯨山と名けたるなるべし」と記され、鯨の姿に似ていることから、地元の人々から「鯨山」とか「鯨ヶ丘」と呼ばれたとあります。

 二つの丘がひょうたんの形になっているので前方後円墳と思われがちですが、全体の長さから、前方後円墳とはいえません。前方部と考えられる場所に三島神社があり、南西部がやや変形しています。堀の遺構もわずかに残っており、ほぼ旧態のまま。円筒埴輪の出土もあったそうです。

 円墳とすると、直径が66メートル。大きい規模の古墳です。もし、鯨山古墳が前方後円墳だとすると、県下第一の規模を誇る相の谷古墳を抜いてしまいます。

 この古墳は、天正七年(一五七九)に書かれた三島大祝越智安任の手記によると「小千(=越智)御子墓在馬越邑」と記されています。小千命(おちのみこと)は、物部氏の流れを汲む古代祭祀氏族。5世紀頃の応神天皇の御代に、小千国造(くにのみやつこ)として伊予の国に下向したと伝えられる豪族です。この伝承が本当とすれば、越智氏は、この時代に大きな勢力を持っていました。

歴史・古代/中古/中世TOPへ

「今治おもしろ百科」TOPへ

ご意見・ご感想などメールの宛先はこちら