豪傑・越智益躬

 推古天皇の代に、朝鮮半島から鉄人を大将とする約8000人の大軍が日本に攻め込んできました。鉄人は、呪術を使い、全身を鉄のよろいで覆っていたと伝わります。鉄人は、まず九州へ上陸し、そののち、都を目指して進軍してきました。天皇は、討伐のため、文武両面に秀で、勇猛で知られる伊予国の越智益躬を差し向けました。

 越智益躬は、三島神社に詣でたところ「鉾(ほこ)を鏃(やじり)にして隠し持ち、鉄人のすきをうかがって殺すべし」という神託を得ました。わざと降参し、道案内をするふりをして、鉄人を油断させます。明石にくると、にわかに空が曇り、雷鳴がとどろき、三島大明神が姿を現しました。鉄人がおののいた一瞬、越智益躬はふところに隠していた鏃を放ち、鉄人を射殺したといいます。足の裏だけがよろいで覆うことができず、そこが鉄人の弱点でした。

 越智益躬が鉄人を倒したところを大蔵谷といい、この地に三島大明神の社を建てました。鉄人を倒した越智益躬に敬意を払ったためでしょうか、明石市の稲爪神社や五十崎町森ノ宮、今治市旭町五丁目の鴨部神社には祭神として祀られています。

 越智益躬は、この功により、越智郡の大領に任じられたといいます。また、「今昔物語」の記述では、越智益躬がこの世を去るとき、この世のものと思われない音楽とかぐわしい香りがたちこめたといいます。

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