国府はどこにあった?

伊予国司

任命

西暦

国司
持統3 689 田中 法麿
天平勝宝元 749 佐伯 毛人
天平宝字3 759 百済王敬福
延暦3 784 坂上刈田麿
承和15 848 在原 行平
天安2 858 菅原 是善
貞観7 865 藤原 基経
延長2 924 大江 千古
承平6 936 紀  淑人
天暦10 956 大江 維時
天延2 974 藤原 佐理
天元5 982 藤原 道隆
寛和2 986 藤原 公任
寛弘7 1010 藤原 兼隆

任命

西暦

国司
寛仁2 1018 源  頼光
長元4 1031 藤原 隆国
永承4 1049 越智 国秀
康平6 1063 源  頼義
寛治3 1089 藤原 忠実
永久5 1117 越智 貞吉
天承元 1131 藤原 頼長
平治元 1159 平  重盛
寿永元 1182 平  維盛
寿永2 1183 源  義仲
文治元 1185 源  義経
健保3 1215 藤原 定家
文応元 1260 西園寺実平
延元2 1337 四条 有資

 伊予国府は、律令時代の「和名抄」に「国府在越智郡」と記され、国分寺もあることから、今治市にあったことは間違いありません。

 しかし、国府の場所がどこにあるかは不明です。国分説、古国分・国分説、桜井小学校付近説、町谷・松木説、中寺説、郷・八町説など、いろいろの説があります。

 松木説は馬継から「う」を取ったものとして越智駅があると考えられたことから。

 上徳説は、「国分寺文書」に正月田の地名が残り、新居氏・越智氏が在庁官人として住んでいたこと。上徳の小字である小御門、閑ヶ内、土居西ヶ内など国府に関係する地名があることから。

 近年では八町説も主流となり、竜登川と銅川の合流する入江は国府津という運河であるともいわれます。

 昭和43年(1968)の道路拡張工事では、唐代の白磁片や奈良時代の布目瓦、昭和49年(1974)の宮の内付近の発掘では、柱穴や柱の残片を発見しています。昭和56〜58年(1981〜83)には、掘立柱建物跡や土師器が見つかっています。

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