国分寺と国分尼寺

 奈良時代になると、仏教は国家鎮護の法として信仰の幅を広げました。聖武天皇は、疫病・天災・飢饉を防ぎ、政治の安定を望んだため、天平13年(741)に「国分寺・国分尼寺を建立する詔」を発します。

 伊予国分寺は、8世紀の半ばに創建され、9世紀に修築。本尊は、薬師如来でした。もともとは、現在地の東100メートルにあり、13個の礎石が残る国指定の史跡・国分寺塔跡があります。弘法大師や伝燈大師らが滞在した記録もあり、今治が行政や文化の中心であったことが伺えます。

 当時の国分寺は、巨大な伽藍を誇っていましたが、兵火により4回も焼失しています。最初の火災は、天慶の乱のとき。次の火災は、源平の戦いのとき。以後、貞治2年(1363)、天正13年(1585)と戦火のために、炎上しています。

 そののち、小規模な復興が行われましたが、本格的な再建は寛政元年(1789)のころ。本堂や太師堂、庫裡、書院などが建てられました。現在は、四国霊場59番札所として、多くの人々を集めています。

 国分尼寺は、国分寺の残材で建立され、天平勝宝五年(753)に伽藍が完成。しかし、源平の戦いや細川氏の侵入のため、草庵を残すだけとなりました。現在は、塔の跡だけが残り、県指定史跡となっています。

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