キリスト教が今治の発展を支えた

 明治維新を迎えて、今治は、キリスト教文化の洗礼を受けます。いや、新しい時代を迎えて、今治人の方から新しい文化の吸収に力を入れたのかもしれません。

 明治9年(1877)、増田精平は、松山を訪れた神戸在住のアッキンソン牧師の演説に感動し、今治へ伝道の旅を頼みます。今治教会で行われた演説は、多くの人たちの心を打ちました。

 その後の今治には、キリスト教団体の「愛隣社」や横井時雄を迎えての伝道所の開設、四国最初の教会もできました。

 横井時雄は、熊本の出身。父の小楠は、幕末の賢侯といわれる松平春嶽の招きを受けるほどの思想家でした。時雄は、父との宗教上の確執により、親戚に籍を移し、伊勢の姓となった時期もありました。熊本英学校、同志社出身で話し上手だった時雄は、キリストの教義だけではなく、文明論や産業育成、地域活性策など、文化的な内容で講義をしました。そのため、時雄の講演はいつも満員で、信者は急激に増えていったといいます。

 時雄の講義を聞いた人たちの中から、海運業、繊維業などで今治経済を育てていく人たちが育っていったのも当然のことかもしれません。また、今治は明治末期から大正にかけて四国のマンチェスターとよばれ、四国一の商都として発展していきます。

 今治人がグローバルな視野を拡げ、商都を育てていくのは、水軍の血筋に加えてキリスト教が一役かっているのかもしれません。

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