日露戦争で活躍した小島の大砲

 小島砲台は、明治33年(1900)日露戦争に備えて、構築されました。芸予海峡を制するため、三原水道の大久野島、来島海峡の小島に砲台が建設されました。芸予諸島は外敵の脅威より国土を守る、大切な地域だったのです。
 小島の中心部には二八サンチ砲六門、北部に二四サンチキャノン砲四門、軽砲三門、南部に軽砲二門が装備されていました。このうち、二八サンチ砲六門は、日露戦争の旅順攻略の際、旅順を陥落させています。

 司馬遼太郎著の「坂の上の雲」によると、この砲を旅順攻略に使うよう示唆したのは、長州人の大砲技術者・有坂成章氏。愚鈍な作戦をとる伊地知参謀長の反対を児玉源太郎や長岡外史が押し切り、大きな成果を上げています。

 大正13年(1924)、軍縮のため、小島砲台は廃止され、大正15年(1926)には、陸海軍飛行隊の爆撃演習の標的となりました。一週間も爆撃演習は行われましたが、堅固なため一部しか壊れなかったといいます。今も爆弾の命中した跡が残っています。

 現在の小島には、砲座と兵舎跡、指令塔跡、弾薬庫跡などが保存されています。

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