徳富蘆花が描いた今治

 「不如帰」で有名な明治の作家、徳富蘆花は、今治を三度訪れています。
 最初は同志社英学塾(現・同志社大学)に入学した明治11年(1878)の夏のこと。四国ではじめてのカトリック教会の初代牧師として今治に来ていた従兄の横井時雄を訪れています。

 二度目は明治14年(1881)3月から翌年の6月までの1年4ヶ月。横井時雄の伝道を手伝うとともに、教会が運営していた今治英学校で教鞭をとっています。この時期の思い出は、小説「思い出の記」や「黒い眼と茶色の目」に描かれています。

 三度目は大正7年(1918)のこと。愛子夫人とともに今治を訪れ、3日間今治に滞在。今治教会や蒼社川、今治城、天保山海岸を散策し、「蘆花日記」にこのことを記しています。

 実はその前年、船に乗り今治沖を通りました。そのときの光景を随筆集「死の陰に」へ書き残しています。「伊予の今治、今治は余に忘られぬ追憶の郷である。・・・中略・・・然しよく其白砂の上で仏蘭子鬼子をしたり説教の独稽古をしたりした天保山の松原がよく見える。春は桜花の美しかつた吹揚の城茨趾も小高く見える」とあり、今治港の徳富蘆花顕彰碑にはこの一節が刻まれています。

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