鯛網観光

 来島の鯛は、全国に名を知られたブランドでした。
 燧灘は、東の紀淡海峡や西の豊後水道から真鯛が回遊し、春には絶好の漁場となり、来島、馬島、中渡島、大浜沖などで鯛があがります。

 明治から大正にかけて、春の鯛網の時期になると、今治方面から見物の船が押し寄せることがありました。魚島の近くには、吉田磯という鯛の漁場がありました。安政年間に、幕府の上納米を積んだ吉田丸という船がこの磯で沈没し、米を目当てに鯛が集まって最良の漁場となったのです。

 春から初夏、海水の温度が産卵を迎える鯛にとって、来島付近は最適な環境になります。そこで節分の頃、おき、海老が集まるように米糠を漁場に投入しておくと、海老を目当てに鯛が集まるという算段です。

 鯛漁には、縛り網がよく行われました。長い綱に板を取り付けたもので、魚群を囲み、船べりを叩くと音に敏感な鯛が浮上してきます。2隻の船でその外側に円形に網を張り、船を交差させます。その様子が縄を縛るように見えることから、この名前がつきました。転覆するほどの鯛が上がってくることもあったようです。

 大正時代には、知事が鯛網見物の報道があるほど、この地方の鯛網は話題を集めました。海がピンクに染まるほど、鯛が捕れた時代のこと。ひと網で鯛が1万匹以上取れることもあったといいます。

しかし、昭和にはいると捕獲量が減少し、鯛網観光は次第に衰退していったようです。

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