造船で月賦販売

 波止浜で、海運や造船が盛んになったのには理由があります。
 松山藩領だったこの湾に、天和3年(1683)塩田が出来て、この地域は大いに潤いました。各地から入港する塩買船が塩を買い、「水塩入銀」という販売方法がとられています。この方法は、現金前渡しで塩を買いつけます。

 進取の気風に富み、水軍のDNAが色濃いこの地域の人たちは、各地との交易が盛んとなったため、海運を行ったと思われます。大正・昭和の機帆船時代には、波止浜は瀬戸内海屈指の海運基地となっています。
 それに伴い、船の修理や造船を行う産業が発達しています。水軍の土地柄だけに船を造る技術を持っていたことも、造船の発達を促しました。

 本格的なドックを持った造船所は、明治35年(1902)創業の波止浜船渠。大正12年(1923)には、鋼船の建造を開始しました。

 今治らしい販売方法を行ったのは、昭和28年(1953)のこと。鋼船の月賦販売がはじまっています。月賦販売発祥の地らしく、船主が求めやすいシステムを新しく創造したのです。木船から鋼船への切り替え需要を狙い、月賦販売で業界の注目を集めました。

 造船は韓国などの技術や低価格での追い上げもありますが、さまざまな企業改善策により、乗り切っています。今治人のバイタリティをさらに期待したいものです。

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