白村江での水軍

 斉明天皇の代(661)、天皇は西征のための海路途中に伊予国に立ち寄り、熟田津で二ヶ月間船を泊めたと「日本書紀」に記されています。ここでの西征とは、唐と新羅の連合軍に苦しめられていた百済を救うため、九州の筑紫へ下り、朝倉宮へ移る途中。斉明天皇は、中大兄皇子や大海人皇子とともに軍を率いました。

 熟田津御幸が2ヶ月にもわたったのは、伊予水軍を中心とする海軍力を整備していたという説もあります。そのため、この地域からの兵士は、この戦いに多く参加しています。「日本書紀」には、風早出身の物部薬が唐軍に捕えられ、俘虜として過ごした後、帰国したとの記述があります。また、地方豪族であった越智守興も大将として参加しています。

 しかし、約1万人の水軍を組織して、唐と新羅の連合軍と戦いましたが、663年の白村江の戦いで大敗を喫してしまいます。中大兄皇子だった天智天皇は、唐と新羅を恐れて都を大津に移動させ、芸予諸島に甘崎城(現・上浦町)、来島城(現・今治市)、鹿島城(現・北条市)の海防城を築きました。

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