倭寇の正体は?

 室町時代の伊予水軍は、海上警固や運輸を日常的に行い、多くの武将たちの警護を行いました。そのため、時の将軍・足利義持は、海上警固に対する感謝状を村上水軍に与えています。

 この時代、日本の海賊は、倭寇と呼ばれていました。朝鮮から中国沿岸、南洋諸島において、貿易と強奪を行っていたようです。15世紀はじめに日本を訪れた朝鮮通信使の朴瑞生は、倭寇の基地の半分は北九州にあり、残りの半分は下関より東の瀬戸内海沿岸や島々にあると記しています。

 倭寇は、高麗王朝滅亡の原因ともされ、明ではその阻止に、100万人もの官兵を配置したこともありました。ただし、当時倭寇のうち、7割は中国人だったといいます。これらの明国海賊は、倭寇の手引きをし、平戸に基地を設けていた人物も、中にはいたようです。

 15世紀の終わりに、河野通直が朝鮮国王成宗に献上物と使いを送り、通商を要求しています。この願いが受け入れられない場合は、朝鮮侵攻を行うと脅しをかけています。
 水軍城や砦の辺りを発掘すると、明銭や宋銭が出てくることもあることから、大陸との交易が行われていたことは確実です。また、強奪行為が行われていた可能性を否定することはできません。

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