織田信長との戦い

 毛利氏は織田信長の天下統一の動きを封じるため、本願寺への援助を行いました。ここでも村上水軍が活躍しました。

 村上水軍の発明した武器で有名なのは、炮碌(ほうろく)です。土器の中に一貫目の火薬を詰め、まわりに布を何層も貼り、その上から縄を巻いて皮で包んだものを日に乾かしました。これに漆を四・五回塗って、導火線を出すのです。使うときには、導火線に火をつけ、手榴弾のように敵の船に投げ入れました。

 この武器が威力を発揮したのは、信長の軍と戦う石山本願寺へ、救援の兵糧を運び入れた天正4年(1576)の大坂木津川口の戦いです。毛利家に加勢した村上水軍、能島武吉、因島亮康、来島通康らは、伊勢・紀伊の水軍が乗り込んだ大型船・安宅船に対し、炮碌を盛んに使って攻撃しました。敵の船を分捕り、将船2艘と無数の小舟を沈め、本願寺内へ兵糧を送り込みました。

 信長は、志摩の九鬼嘉隆に命じて、船を鉄板で装甲し、大砲と無数の銃を備えた大戦艦を製造させました。天正6年(1578)に起こった第二次木津川口戦は、炮碌に耐えることのできる強力な火器を装備していました。結果は、織田軍の圧倒的な勝利でした。本願寺は、毛利水軍の敗退で窮地に陥り、信長と和睦します。

 木津川口の戦いで活躍した炮碌のかけらは、今でも大島の土地造成の際に発見されることもあります。大島宮窪中学の運動場には登り窯の跡もあったといいます。

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