剣豪・田坂槍之助

 来島の家臣に田坂槍之助貞縁という人がいました。槍使いの名人として知られ、剛胆な性格で武芸に通じていたといいます。

 ある時、20人ばかりの侍を乗せた帆船が来島海峡を通り抜けようとしていました。槍之助は小舟に乗り、この船に向かって帆別銭を出せと怒鳴りました。これを聞いた侍たちは多勢のこともあり、これを聞こうとしません。怒った槍之助は船を寄せ、たった一人で多くの武士に挑み、敵を傷つけ、完全に優位となりました。船は流されて、桜井の浜に近づいていきました。

 侍たちは不利な船上を嫌い、地上の戦いを望みました。槍之助もこれに同意したのです。
 砂の上の戦いで侍たちは槍之助を取り囲んで戦い、槍之助も奮闘しましたが、ついに討たれて首を取られてしまいます。敵は5人を残すばかりとなり、無事な者は一人もいなかったといいます。

 主人はこの話を聞き、侍たちの不甲斐なさと卑怯な戦いに怒り、5人を追放したといいます。

 桜井の里人は、槍之助の亡骸を入江の近くに葬り、懇ろに弔いました。この場所を馬に乗って通ると、必ず落馬するため、槍之助の祟りを恐れて、霊を慰めるために江之口八幡を祀ったといいます。この田坂氏の子孫は、来嶋氏の豊後移封にともない、日田盆地に赴いたそうです。

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