童話作家になった水軍の子孫

 来嶋氏が移封した玖珠郡森は、大分県の山の中にあります。大分自動車道を走っていると突然、山の中に鬼の人形と「民話の里」の看板が姿を見せます。

 江戸時代、この玖珠郡は、来嶋村上(久留嶋)氏が統治しました。この地は、殿様の子孫で「日本のアンデルセン」と称され、日本中の子供たちに愛されてきた口演童話の久留嶋武彦が誕生した地でもあります。
 武彦は、明治27年(1894)に戦地から「軍事談近衛新兵」を「少年世界」(博文館)に投稿し、巌谷小波に認められました。武彦は、「少年世界」を舞台に軍事物の童話を書き続ける一方、明治29年(1896)からおとぎ話を発表していきました。

 口演童話に興味を持った武彦は、それを生涯の仕事としていきました。明治36年(1902)に、はじめて口演童話を披露し、おとぎ話の会を次々と開催。この活動により、全国でおとぎ会、お話会が誕生していきます。この時期は、さまざまな教育活動に政府が関心を持ち、社会教育を重視していました。そのため、武彦は、全国の図書館教育を視察するなど、文部省からの支援も受けています。

 また、武彦はボーイスカウト活動にも尽力しています。大正3年(1914)、デンマーク主催の第一回の世界少年団に参加。大正13年(1924)、第二回世界ジャンボリー派遣副団長としてデンマークへ赴き、大正15年(1916)には、大分県で世界少年団野営大会を開催するなど、ボーイスカウト活動の啓蒙活動を積極的におこなっています。
 第二回世界ジャンボリーのとき、アンデルセン顕彰をデンマーク国民に訴え、記念館設立のきっかけを作っています。アンデルセンは武彦の理想の姿だったようで、昭和14年(1939)には、帝劇でアンデルセン50年祭を開催し、デンマーク国王からダンネブロウ四等勲章をうけています。

 昭和25年(1950)には、故郷・大分県玖珠町三島公園にある旧藩主屋敷跡に童話活動50年を記念する童話碑が建立されました。碑は、高さ7メートルという巨大な自然石に「童話碑」の文字が刻まれたもの。同時に、第一回日本童話祭が開かれ、その席で武彦は口演童話を行っています。昭和35年(1960)、武彦は逗子で没しました。

歴史・水軍TOPへ

「今治おもしろ百科」TOPへ

ご意見・ご感想などメールの宛先はこちら