
|
|
![]() |
|
藤堂高虎以前に今治地方を治めた領主たちはどういう人たちがいたかを調べてみました。その当時、今治の中心は国府(国分)地方であり、国分城は唐子山の山頂にあったと伝えられています。 国分城のことが文献に出てくるのは14世紀の頃。脇屋義助が国府城に入場しています。 福島正則の築いた城は、「本丸は東西九間南北二十間、二の丸は東西五十二間南北五十一間」という大きなもの。東に居城があり、北は森、周囲を石垣や土手で守り、家臣の屋敷を並べた雄大な平山城だったといいます。城下町は拝志。天守閣もあったと伝えられます。 正則の後には、池田景雄が入城しました。織田信長に仕え、山崎の合戦ののちには秀吉に仕えています。国分城主の所領は7万石。正則11万石のうち、4万石は代官地となっています。 次に国分城主となったのは、近江出身の小川祐忠。もともとは浅井氏の家臣でしたが、織田信長の侵攻を受け、織田家直属の旗本となりました。本能寺の変ののちは、明智光秀の傘下に入りますが、三日天下の後には羽柴秀吉に仕えています。慶長の役の軍功により、東予7万石の領主として国分城に入りました。 宇和郡7万石を治めていた藤堂高虎は、関ヶ原の戦いの戦功により、伊予半国20万石を得、国府へ入城してきました。高虎は、今治入封にあたり、国分城を捨て、新しく海岸に20万石にふさわしい城と城下町の建設をはじめます。国分城の資材も新しい城に活用され、偉容を誇った国分城の昔の姿はなくなってしまいました。 |
