若き日の藤堂高虎

 高虎の仕官のはじまりは、地元の大名・浅井長政でした。15歳の初陣は姉川の合戦で、手柄を立てましたが、敗戦となりました。そののち、阿閉(あつじ)貞征、磯野員昌、信長の甥・織田信澄と主君を変えた後、豊臣秀吉の弟・秀長の家臣となっています。

 当時の高虎は、若さも手伝ってか、勤めも長続きせず、乱暴をはたらくなど、憤懣やるかたない生き方を送っていました。その頃のエピソードに餅を無銭飲食した話があります。

 阿閉貞征に仕え、1ヶ月で勤めをやめたときのことです。三河まで流浪し、路銀を使い果たしてしまった高虎は、空腹のために、立ち寄った餅屋で並べてあった餅すべてをあっという間にたいらげてしまいました。高虎は、お金を持っていないことを素直に餅屋の主人に謝まりました。主人はその食べっぷりに感銘したのか、路銀までめぐんだといいます。

 後年、大名に出世した高虎は、行列を組んでこの餅屋の前を通った折り、親父に金銀が入った革袋を手渡してかつての恩に感謝したといいます。また、藤堂家には高虎ゆかりの餅屋で餅を食べる習わしがあったとも伝えられます。

 高虎の旗差物は、紺地に白い丸が三つ縦に並んでいますが、これは丸餅を重ねて、その時の情けを忘れないようにしたともいわれています。白餅にちなみ「城持ち」になれるようにとの願を掛けたともいわれているようです。

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