信頼できる主人を求めて

 藤堂高虎は、浅井長政に仕えた後、阿閉貞征、磯野員昌、信長の甥・織田信澄と主君を次々に変えました。天正4年、21歳の高虎にまみえた秀吉の弟・羽柴秀長は、300石で召し抱えることを決めます。

 高虎の人生は、秀長との出会いによって大きく変わりました。もともと高虎は、戦場で武功を積み重ねていたのですが、主君に恵まれず、不遇な時代を過ごしていたのです。
 「士は己を知る者のために死す」という言葉は、まさに高虎の気持ちをあらわしています。高虎は、秀長のために獅子奮迅の働きをし、武功を立て続けます。高虎の役割は斬り込み隊長でしたが、高虎が良い働きをすると、秀長は兄の秀吉に報告し、秀吉から直接褒美を受けれるよう配慮するなど、高虎にとって最良の主君でした。

 しかし、主君の秀長は、兄の天下統一を見届けて、亡くなります。高虎は、世継ぎである秀保の後見役をつとめましたが、秀保は酒色におぼれ、病気で死んでしまいました。そのため、大和郡山100万石は、取り潰しとなってしまいます。

 高虎は、秀長・秀保の菩提を弔うため、高野山に登り、西明院で剃髪し、仏門に入りますが、秀吉に乞われ、宇和島七万石の大名として復帰します。

 豊臣家が滅亡し、大和郡山にあった秀長の菩提寺・大光寺が取り潰されそうになると京都大徳寺境内に移したといいます。このことからも高虎が抱いた秀長に対する深い愛情と義理堅さがわかります。

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