高虎と天海との関係

 南光坊天海は、徳川政権を裏で支えた闇の宰相として有名な人物です。家康の信頼を得、方広寺の鐘銘事件で豊臣家壊滅作戦の火付け役を果たしています。また、信長によって焼き討ちされた比叡山延暦寺を復興しました。家康の神号を「権現」と決め、遺骸を久能山から日光山に改葬して東照宮を建立したのも天海でした。加えて、天海は、東叡山寛永寺の開祖です。
 家康・秀忠・家光に仕え、寛永20年(1643)10月2日、108歳という年齢で大往生を遂げ、慈眼大師という尊号を贈られています。

 天海と同様に、徳川三代に仕えた高虎との親交は、江戸のまちづくりを通じて形作られたようです。
 徳川家康が臨終の際、「われ来世において、権現となろう。天海と藤堂高虎は長くわれの左右にあって徳川家の守護となれ」と語り、東照宮の奥社の塔の中、東照大権現の左右には、高虎像と天海像が安置されています。

 江戸忍ヶ岡に東叡山寛永寺を造営する際、天海と高虎の打ち合わせがありました。もともと、上野は藤堂家の江戸屋敷があったところ。家康をまつった東照宮を建立して鎮守とし、天海が開山となり、高虎が開闢人となれば、来世も一緒にいられるとの考えだといいます。
 また、高虎に対し、天海僧正は「寒風に立ち向かう松の木」になぞらえた「寒松院」という号をおくっています。

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