今治の地名

 高虎のつくった今治の町は、外堀と内堀の間に家臣団の屋敷をおき、その周囲に町人町や百姓町をつくっています。今も残る当時の町名を探ってみましょう。

  今治の町割りは、当初は今治六町と呼ばれ、中央を本町、海側へ片原町、中浜町、風早町、内陸部へ米屋町、室屋町が並行して走ります。のち、北側へ鍛冶屋町、塩屋町ができたため、今治八町と呼ばれました。

 本町の名前の由来は、道路幅が二間半と広かったため。

 風早町は風早郡からの商人が多かったため。

 中浜町は海の近くにあるところから。

 片原町は道の片方が原となっていたことから。

 米屋町、室屋町、鍛冶屋町、塩屋町はそれぞれの商売から名前が付けられました。

 辰ノ口は外堀にただ一つかけられた辰ノ口橋からの名前です。

 現在、鍛冶屋町は今の米屋町四丁目塩屋町は今の風早町四丁目となり、残念ながら町名は残っていません。


 その後、久松松平家が藩主となってから、川岸端、新町、北新町が生まれました。ついで、船頭町、住吉町、神明町、西新町、慶応町、金星町などができましたが、これらの名前は町名整理により、消失してしまいました。

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