高虎は風見鶏?

 藤堂高虎は、数多くの大名に仕え、秀吉に仕えながら、家康の手先となって働き、最終的に32万石の大名となっていることから、あまりよい評判は伺えません。「ごますり」「おべっか」「風見鶏」という評価は、後世のものであり、戦国時代の常識とは違います。戦国時代では、自分の力量を誇示すること、主君を替えることは普通の出来事でした。

 高虎は浅井長政に仕えた後、阿閉貞征、磯野員昌、織田信澄、羽柴秀長にと主君を変え、秀長の死後は、羽柴秀保の後見役となり、死を悼んで出家。豊臣秀吉に呼び戻された後は、徳川家康の天下統一の手助けをし、二代目将軍秀忠、三代家光と徳川三代に仕え、幕府の重鎮として一生を終えます。

 高虎は、自分を認めてくれる主君を捜していたといっても過言ではありません。立派な体格を活かすとともに、戦場では常に一番槍を目指し、命をかけて戦いました。その働きぶりは、周囲も納得していましたが、主君が負けるという不運が続いていたのです。また、高虎は自分の値打ちを下げることをしたくなかったようです。自分の値打ちを認めてくれる技量の深い人物を捜していたのかもしれません。

 秀長と出会ってからは、主君を信頼し、深い人間関係を結んでいます。また、徳川家との関係もおべっかやごますりで地位を得たのではないことは、家康の死後も秀忠、家光と信頼を得ていることからも徳川家にとってかけがえのない人物だったことが偲ばれます。高虎が「風見鶏」であるという評価を変える時期にきているのかもしれません。

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