家臣・木山六之丞

 今治城は、慶長9年(1604)9月に完成しましたが、作事をサポートした木山六之丞は、木山音頭でその名を知られます。

 木山家は、石井村に住んでいた土着の武士。清和源氏・新田義貞の流れをくみ、南北朝時代に懐良親王に従って今治に来訪。南朝が敗れたため、この地に住んだといいます。

 木山六之丞は、築城工事を円滑にすすめるため、土着の有力者が必要なことから選ばれましたが、たった二年あまりの年月で今治城を完成させたのは、六之丞の功績によるところが大きいようです。

 しかし、藤堂高虎が伊賀上野に転封した際の家臣には、六之丞の名前がありません。また、高虎の後に今治を治めた息子・高吉や松平久松家の家臣にも名前を見つけることができません。城の秘密を守るために殺害されたという説や身を隠すために改名したという説が流布していました。

 実際のところ、木山六之丞は、高虎の転封に伴い城勤めをやめて、朝倉村の古谷で寺子屋を開き、元和元年(1615)に亡くなっています。

 無足人と呼ばれた土着の武士は、藩主に召し抱えられても俸禄はなく、年貢を免除されるのみ。仕事のある時だけ出勤し、普段は農業に従事したり、村の世話を行っていたようです。築城の後は、役職から身をひき、静かに暮らしました。

 木山六之丞の墓は、朝倉村古谷の竹林寺の近くにあります。

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