家臣・渡辺勘兵衛

 今治城にある勘兵衛石に名前を残す渡辺勘兵衛は、高虎の家臣で特に高名です。槍の勘兵衛として知られる強者で、阿閉貞征、羽柴秀勝、中村一氏、増田長盛、藤堂高虎に仕えています。

 勘兵衛の名前を高めたのは、中村一氏時代の山中城攻めです。勘兵衛は、山中城の出丸の守りが弱いことに気づき、一氏に攻めを願いでます。最初はしぶった一氏でしたが、最後は根負けして勘兵衛に攻撃を任せたところ、勘兵衛は堀を越え、塀をよじ登って出丸を攻め、ついには本丸を陥落させてしまいました。

 勘兵衛は、一氏のもとを去り、次に増田長盛に仕えました。長盛は、関ケ原の戦いで西軍についたため、勘兵衛に大和郡山城を明け渡すよう、高虎は迫りました。しかし、勘兵衛は門を閉ざして、これを拒みました。主君のいないときに、自ら開城することは、できないというのです。そこで高虎は、長盛に城明け渡しの書状を書かせ、これを完了させせました。高虎は、武士の意地と名誉をつらぬいた勘兵衛の態度に感服し、勘兵衛を2万石で召抱えたのです。

 加藤嘉明は、高虎が勘兵衛を2万石で招いたという話を聞き、自分なら200石取りの武士を100人召抱えるといいました。高虎は、その言葉に対して、100人の愚者は1人の賢者に劣ると語ったと伝えられます。

 勘兵衛は、大坂の陣のとき、高虎と采配をめぐって衝突し、高虎の怒りをかい、職を解かれました。死ぬまで25年の間、浪人となって風流の世界に生きたといいます。

 勘兵衛は、自分の価値観で戦場を渡り歩くことに誇りと生きがいを持っていたのでしょう。

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