今治に水軍の財宝伝説があるの?

 水軍の埋蔵金に関する話もこの地域には数多く残っています。芸予諸島には何代にもわたって蓄えてきた水軍の財宝が戦国時代の後期を中心に様々な島に埋蔵されたといいます。財宝の種類は金、銀、金の延べ棒、砂金、金銀細工物、黄金の太刀、珠玉などです。

 財宝の隠し場所として最適なのは船の行き来が少ない場所で洞窟などがある無人島。満潮時には水面下になり、潮が引くと現れる洞窟などが隠し場所です。来島海峡の辺りは干満の差が二から三メートル。財宝を隠すのには良い場所かもしれません。

 お隣の大島吉海町の泊に埋蔵金の伝説が残っています。
 山を切り開いたとき、壷がでてきました。その中には金の小粒と文章が入っていたといいます。文章には「名剣、幟幡、巻物の三宝はこの島より七里南の在家にあり、金子一万五千両は壱津の下、土中にあり」と書かれていたそうです。同じ内容の文章がもう一通出てきているそう。まだ、埋蔵金は発見されていません。
 伯方島の木浦の大深山に「入らずの山」「売らずの山」といい伝えられている場所があるそうです。能島城が攻められたとき、武吉配下の侍が財宝を隠したといわれています。
 「朝日さす夕日輝くところ・・・」という言葉のある和歌が残されているそうですが、それがどの家か今では分からなくなっているそうです。

 弓削町にも埋蔵金伝説があります。ある家に「出没不常処・坤離之間」という文字が書かれた守札が残っていました。この意味は「出没常ならざる処、西南の場所」となります。弓削の南海岸に浮かぶ「みつうみ島」という小さな無人島があったのです。慶長三年、弓削島の三人がその島を探したところ、干潮になると現れる洞穴があり、財宝が見つかりました。三人は財宝の一部を持ち出し、大阪へ向かいましたが、その道中、喧嘩をし、一人は死に、財宝は海に沈んでしまいました。あと一人も死んでしまい、残った一人は財宝の祟りであるとこの話を封印してしまったそうです。

 水軍の宝ではないかもしれませんが、今治には国分寺の埋蔵金の話が伝わっています。江戸時代のこと。七造という農民が山を開墾中に和同開珎二百枚や鏡、仏像などを掘り当てました。それを知った近くの人々が和同開珎を買い求めました。大金持ちになった七造さんは病気のお母さんに孝行をしたといいます。国分寺にはその一部といわれる和同開珎が保存されているそうです。

 あなたもこうした伝説を基に水軍の宝探しをしてみませんか。

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