しまなみ海道ができるまでの経緯?

 昭和34年(1959)の調査を受け、本四連絡橋は昭和45年(1970)に明石〜鳴門、児島〜坂出、尾道〜今治の三ルートの建設が決定しました。ところが昭和48年10月、日本を襲ったオイルショックにより本四連絡橋は工事延期となってしまいました。

 時代は移り、昭和50年(1975)三木首相の時に児島〜坂出ルートへの一本化と他ルートの凍結解除が決まり、徐々に工事がはじまりました。最初に開通したのは児島〜坂出ルート。昭和63年(1988)瀬戸大橋として誕生したのは記憶に新しいことです。次は明石〜鳴門ルート。平成10年(1998)に明石海峡大橋が誕生し、明石と鳴門が結ばれました。

 尾道・今治ルートでは、大三島橋が最初に開通しました。昭和54年(1979)の完成でした。以後、昭和五八年(1983)に因島大橋、昭和六三年(一九八八)伯方・大島大橋、平成3年(1991)に生口橋と次々に開通し、後は広島県と愛媛県を結ぶ世界一の斜張橋の多々羅大橋、愛媛県の大島と今治を結ぶ世界初の三連吊り橋の来島海峡大橋を残すだけとなりました。

 平成8年(1996)一般公募により、愛称が「瀬戸内しまなみ海道」となりました。待望の全線開通は平成11年(1999)5月1日。来島海峡大橋と多々羅大橋が開通し、尾道と今治が結ばれたのです。

 このしまなみ海道の特長は十の橋がそれぞれ異なる形式で作られていること。また、美しい橋の姿を眺めるため、随所に展望台がもうけられていること。加えて、車だけではなく自転車や歩行者も通行できるため、間近にしまなみ海道の美しさを楽しむことが出来るのです。

 しまなみ海道の開通に当たっては郷土出身の政治家の皆さん、今治出身の砂田重政氏、玉川町出身の越智伊平氏、時の知事白石春樹氏などの多大な尽力があったことは見逃せません。政治家以外にもしまなみ海道の完成に向け、多くの人たちの努力があったことを忘れてはなりません。

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