今治の島々・来島

 「赤い靴」や「七つの子」で有名な野口雨情が来島海峡を訪れたとき作った「今治音頭」には「くるい汐なりや 来島瀬戸の汐 もぜひなや渦もまく」というのがあります。この詞のように、来島という名前は「くるい汐」から来ているといいます。

 来島は南北朝時代に瀬戸内海の制海権を握っていた三島村上水軍の拠点のひとつ。周囲わずか1キロの小さな島は全島が水軍城跡。本丸、一の丸、二の丸、出丸などがあり、水軍の長は通常、対岸に住み、戦の際に潮流の急な特長を生かし、敵の近寄りがたい海城として活用したといいます。

 城主であった来島氏は十五世紀の文安年間より160年六代にわたり居城しましたが、関ヶ原の戦いの後、1万4000石で今の大分県玖珠町、日田の近くの山奥に移封されました。
 来島海峡大橋がかかり、時代は変わっても島をとりまく潮の流れの早さは変わらないようです。

来島の松を涼しと見てつきぬ 今井つる女

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