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「おち」という言葉は4世紀頃から史料に登場してきます。大和朝廷の配下として今治は「小市(おち)」と「怒麻(ぬま)」の二国に統合されます。この「小市」の国造(くにのみやつこ)には乎致命(おちのみこと)が任じられているのです。乎致命が今治開拓に多くの伝説を持ち、繁栄する越智氏の祖といいます。 乎致(おち)氏の墓を鯨岡とする伝承もあり、大浜八幡を氏神とする説もあります。乎致氏は後に大三島の大山祇神社を祀っています。 乎致氏の子孫は越智氏となり、国司や郡司に命じられ、大三島宮司の祝氏、水軍を興す河野氏や土居氏などが同じ越智氏の系統から出ています。 ちなみに「怒麻」は野間氏に関係があるといわれています。 |
