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南北朝の時代、河野水軍、村上水軍は南朝側にたち、活躍しています。この時代、今治周辺と愛媛県は動乱の舞台となりました。 今治は「太平記」にその名前が登場することでわかるように、戦いの中心となりました。新田義貞の弟、脇屋義助公が四国総大将として下向し、今張(今治)の浦に到着。四国は南朝の手に統一されることが目前に控え、南朝勢は意気を上げました。しかし、義助は、今治に到着するやいなや、命を落としてしまいました。36歳の若さでした。義助の死は、南朝側にとって大打撃となり、北朝方の巻直しにあって、敗戦が色濃くなりました。 国分寺の近くには義助の墓があり、お隣の東予市との境の世田山の攻防戦や松山の星岡の戦いなど四国には南北朝の戦いの跡が数多く残っています。 南北朝の戦いで今治は歴史の表舞台に立ったのです。また、新田義貞の息子、義宗が今治に落ち延びたという伝説も残っています。 |
