城主の藤堂高虎公ってどんな人?

 藤堂高虎公は近江国(滋賀)の生まれ。浅井長政、羽柴秀吉らに仕え、姉川の合戦、賎ヶ嶽合戦、文禄の役などで戦功をあげています。文禄4年(1595)宇和郡7万石を与えられ、宇和島城を築きました。

 朝鮮再征の功で1万石が加増、関ヶ原の戦いでは徳川方に参加、先陣での活躍が認められ12万石が増え、伊予国20万石の大名として唐子山の今治国分城に慶長5年(1600)入城し、交通不便で地形的にも発展性のない国分城を捨て、海に面した地に今治城を築城しました。
 高虎公は築城の名手といわれ、大和郡山城、紀州和歌山城、伊賀上野城、伏見城、大阪城や江戸城の増改修も手がけています。

 今治城主として在任9年。高虎は伊勢・伊賀を領し、津に移封となり、今治城主は養子の高吉、久松家と変わります。高虎公はさまざまな武将に仕えたことから、武士道にもとるといわれますが、剛勇深慮にして清高無私。時勢の判断に敏な名将だったといわれています。

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