今治城の石垣はどのように作ったの?

 今治城築城の時には砂浜に巨大な城を作るため、材料が足らず、近隣の国分城、来島城、拝志城などが破壊され、その資材も活用されたと伝えられています。こうした今治城づくりに面白い逸話が残っています。

 主人公は築城奉行の渡辺勘兵衛。領地一帯に高札が立ちました。「船一杯の石材を運びたるものには同等の米を与える」と書かれてあり、事実その通りに米を支給しました。船頭たちは競って石材を船に山積みにして運びましたが、藩にはそんなに米の準備はありません。
 そこで勘兵衛「石材はもういらない。持って帰れ」
 船頭たちも持って帰るわけにはいきません。石材を浜辺に置いて帰りました。捨てられたこの石で城の石垣を完成させたといいます。

 知恵者の勘兵衛の名前を今に留めているのは、今治城の東入口にある「勘兵衛石」高さ2.3メートル、幅4.5メートル、重量16トンの堂々たる石が勘兵衛の功績を賞して置かれています。

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