今治城の天守閣を他に運んだの?

 藤堂高虎公は今治在任9年の後、伊賀と伊勢八郡を領し、安濃津城に去ることになりました。城郭の一部や家中の舎屋も船に積み移されたといいます。その時、天守閣も一緒に運ばれたのです。慶長15年(1610)丹波亀山城の天守閣築造にあたりました。

 関ヶ原の後、畿内をかため、日本の平定を図る家康の意図を汲み、外様である高虎公の異心のないことを示すため、伊賀上野城に再建するつもりの今治城から運んだ天守閣を亀山城に建てて家康に献じたのです。

 今治に天守閣があったのはわずか4年間。明治維新後、残っていた櫓や門も壊され、競売や入札にかけられました。そのため、今治城には天守閣がなかったといわれていたのですが、藤堂家の家譜「宗国史」や亀山城の写真により、今治城に天守閣があったことが証明されたのです。

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