
|
|
![]() |
|
明治初期の今治は海に面していても港の設備は整っていませんでした。しかし、明治時代には今治海運業の父、飯忠七が大阪への押切船を開始しました。特産の白木綿の交易を拡大し、蒸気船の今治寄港に尽力するなど、明治期の今治の発展に寄与しているのですが、今治港の本格的な整備がなされたのは、大正時代に入ってからのことです。 大正3年(1914)今治町が港湾修築計画を立案し、大正9年(1920)に東防波堤の工事着手してから。大正10年(1921)に重要港湾、大正11年(1922)に四国初の開港場に指定され、翌年に第一期工事が完成しました。昭和9年(一九三四)に第二期工事が完成し、ようやく念願の港が整備されたのです。 戦後、モータリゼーションの発達にともない、フェリー時代を迎え、今治港は平均2分間に1隻、船が入・出港する発着数の多い港として発展してきました。 |
