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伊予商人は今治の人間、特に桜井を中心として形成されていますが、扱っていたのが漆器と陶器。桜井が天領(幕府領)であることを活用し、商売のため、西日本各地に行商を行いました。 桜井の里言葉に「春は唐津、秋は紀州」というように佐賀伊万里や唐津陶器を大阪方面へ送り、帰りの船で紀州黒江(海南市)の漆器を仕入れ、九州・四国・中国に行商するという方法です。その前に拝志地区の「けんど(ざる)」桜井の「みの・かさ」が船を使った行商を行っていましたが、大規模な行商・仕入れは椀船と呼ばれる回船を出すようになってからのことです。 行商の方法は船に陶器や漆器を積み、立ち寄った港で行商するという方法。この方法では効率が悪かったので、汽船・鉄道が発達すると販売形態が変化します。 明治末期から大正にかけては、行商集団を結成し、先発隊が広告宣伝を行い、集会場などで見本を陳列し注文を取ります。その後、商品を配達し、集金して廻るという分業方式。この集金に「月賦方式」が創始されたのです。商品前納、各月集金という商法は危険度の高いものですが、行商時代からの従業員の地縁や血縁に結ばれた強力な信頼関係に根ざした伝統的なもの。 漆器は高価なので分割支払いはとても便利でした。割賦は記録に残っているものでは頭金一割の一八ヶ月分割。取引相手との「信用取引」なのは今の時代のクレジットと同様です。 |
