猿飛佐助って今治の人が作ったの?

 明治末期から大正時代にかけて「真田幸村諸国漫遊記」「猿飛佐助」などの大衆娯楽小説で人気となった立川文庫の創設者が今治出身だということはあまり知られていません。


今治の片原町の回船問屋「日吉屋」の美貌の女主人、山田敬は巡業に来ていた講談師・玉田玉麟と駆け落ちし、大阪に住まいを移しました。敬は子供達を大阪に呼び寄せ、長男の阿鉄が中心となって「諸国漫遊・一休禅師」という小説を書き上げました。

 これが話題となり、次々と庶民に人気の歴史上の人物を取り上げたのです。特に猿飛佐助は人気を博しました。名前の猿飛は石鎚山の麓にある「猿飛橋」から名付けたといいます。

 立川文庫は文庫の表紙に「日吉屋」の紋であった揚羽蝶をつけています。猿飛の名前といい、ふるさとへの強い思いをどこかに強く残していたのかもしれません。

 この立川文庫制作の内幕は、山田敬の孫・池田蘭子さんにより「女紋」という小説に詳しく描かれています。

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