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愛媛が舞台の文学作品と県民性

「人国記」にみる伊予国

人国記・新人国記 岩波文庫 浅野建二校注
日本六十余州についてその地勢とともに人情・風俗・気質を述べる。『人国記』の著者・成立年代は不明だが、江戸初期、関祖衡はこれに地図を付し「暖気のところの人は柔弱、寒気のところの人は堅固」等の説明を加え『新人国記』として刊行した。武田信玄は『人国記』を愛読、彼が見て大事だと思う国を抜萃し、時に臣下に示したという。
(岩波文庫解説より)

※『人国記』の著者は、信州の人と考えられている。信濃国の記述に「信濃の国の風俗は、武士の風俗天下一なり。尤も百姓・町人の風儀もその律義なること、伊賀・伊勢・志摩の風俗に五畿内を添へたるよりは猶も上なり」とあることから。

「人国記」と「新人国記」の違い

書名

特徴
人国記  著者・成立年代ともに不詳。日本六十六国二島を畿内五国、東海道十五国、北陸道七国、山陰道八国、山陽道八国、南海道六国、西海道九国、二島の各国ごとに人情・風俗・気質・性格などを指摘し、それに比較的簡単な評論を加えている一種の地誌。1502(文亀2)年から1573(天正元)年の間の成立と推定されている。
新人国記  関祖衡が『人国記』の本文を要約し、地図と按文を付したもので1701(元禄14)年に版本が刊行されている。関祖衡(せきそこう)は越前の人で京都の儒学者・伊藤仁斎の門人。

「人国記」と「新人国記」の記述

書名

記述
人国記  伊予の国の風俗、大形半分半分に分れ、東郡七、八郡は気質柔らかにして、実儀強き形儀なり。それより西はすべて気強く、実は少なく見ゆるなり。
 古よりこの国には海賊充ち満ちて、往来の船を悩ますの由、聞き及ぶに違はず、今も猶徒党を立てて、一身の立つる族(やから)多し。誠に関東の強盗、この国の海賊同じ業にして、武士の風俗一段手強しといへども、武士道吟味これ無き故、危ふき事のみ多き風俗なり。末代も人の気質に替りは有るまじきものなり。
新人国記  当国の風俗は、大形半分半分に別れ、東七、八郡は気質柔らかにして、実儀強く、西郡はすべて気強く、却って実は少なく見ゆるなり。
 古へよりこの国には、海賊満ち満ちて、往来の舟を悩ますの由、聞き及ぶに違はず、今も猶徒党を立てて、一身の立つる族多し。誠に関東の強盗、この国の海賊同じ業にして、武士の風俗、一段手強しといへども、その道吟味なき故、危ふき事多き風なり。末の世とても、この風変ずまじきとぞ。
 按ずるに、当国大国にして、尤も島々多し。かるが故に、風義も所々少しづつ変りあり。尤も温暖の国なり。

おだやかな気質で決まりごとを守る東、
気が強いだけで武士道を思う気持ちが薄い西。
昔から海賊が満ち充ちて、往来する舟を悩ましていた。
今も、仲間とともに徒党を組んで、独立しようとするものが多い。
関東の強盗と同じような者たちだ。
武士の気風はあるが、もと海賊のため、武士道を無視する。

「県民性」は客観性を持った悪口ともいえる

県民性本に見る「愛媛の県民性」

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