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愛媛が舞台の文学作品と県民性

[獅子文六が語る南予]

獅子 文六 (しし ぶんろく)(1893〜1969)
 小説家。演出家。
神奈川県横浜市出身。本名岩田豊雄。フランスで演劇を学び、帰国後、戯曲の翻訳や演出、評論などに力を注ぐ。また、久保田万太郎・岸田國士らとともに、文学座の創立者の一人となる。太平洋戦争直後、妻の郷里、北宇和郡岩松町(現宇和島市津島町)に疎開し、そこでの見聞を元に『てんやわんや』などの作品を発表した。

 獅子文六は昭和20年(1945)の年末に現在の宇和島市(旧津島町岩松)へ疎開した。東京から神奈川吉浜町へと移っていたが、食糧事情が悪くなって夫人の郷里へ帰った。
 疎開生活の2年間、文六はこの地方の風土や風俗、方言、人情などをつぶさに観察してノートに記録し、小説『てんやわんや』『大番』『娘と私』など、南予が舞台の小説を多く著している。

獅子文六が記した南予の描写

作品など

内容
てんやわんや 「どうやら、私は、別世界の住人になったらしい。ここは、まったく日本の蓬来である」
「トッポ話(早や私も方言に感化された。バカ話の意である)の花が咲き、人々は時間も忘れてそれを愉しむのである。なんと話好きな人々であらうか。(中略)彼らの語ることは、荒唐無稽なトッポ話のみならず、町の政治の内幕、町民の家庭の秘話など、極めて現実的な部面にも亘るのである」
「この土地の青年は、一体に温和で、関東地方のやうに、虚勢を張ることがない代わりに、一度激発したとなると、南国の血は争はれぬものがある」「ここは忘却の郷である。あのやうに人々を狂奔させた選挙騒ぎも、今では、ウソとしか思はれない。(中略)その翌日から、越智善助は、ケロリとした顔で、政敵のHと酒を酌み交はしている」
「エソといふ魚で造る南伊予のカマボコは、日本のカマボコ界の王であり、(中略)エソの皮や筋で造ったこの皮竹輪は、カマボコ食ひの大通人をして満足させる、日本無比の超特作的逸品である、といふのである」
「大きな鯛の浜焼らしきもの、カマボコや卵焼の口取りらしきもの、ウマ煮らしきもの、和へ物らしきもの、巻鮨らしきもの、ウドンらしきもの―十数種に亘る食物が、同数の鉢に盛られてあるやうであった。(中略)それが、この地方の名物、鉢盛料理であった」
「この土地には古来、闘牛が盛んに行はれ、それを『突き合い』と称することを、小耳に挿んでいたからである」「盆相撲というのは、旧盆の直後の夜に、町第一の寺院の境内で行われる素人相撲のことだが、由緒の古い行事で、施餓鬼の意味を持ってるらしく、夜店が沢山並び、人出は多く、大きな年中行事の一つだった」「秋祭りは(中略)『牛鬼ちふ、をかしげなもんが出よりますが、これは、他国の祭りには、見られんもんだすらい』(中略)その他、八鹿踊とかヨイワセとか、私には想像のつかぬ郷土的な芸能が、催されるらしかった」
大番 「トッポ作というのは、間抜け者のことだが、テンポ作は、向こう見ずの狂人野郎の意である」
「この地方の習慣で、若衆宿あるいは青年宿と呼ぶ、一種の合宿制度がある。村の若者たちが、春になって、ある期間を、共に一軒の家で生活し、年長の若者が年下の者に農耕のこと、漁労のことから、村の社会生活、人間生活の指導をする目的を持っていた。(中略)若衆宿を出た者は、一人前の男と見られ、結婚の資格ありとされた」
「イリコというのは、関東地方の煮干し、関西地方のジャコのことである。イワシの小型のを、大釜で煮て、天日で乾燥する」「吸物、味噌汁、その他、一切のダシ用に供するからである。(中略)カツオブシほど、高級な味ではないが、ダシは強く、そして、値段が安い。一般家庭でも、安料理屋でも、これを、欠くことはできない。ことに、ウドン屋の如きは、イリコなしに、商売ができないほどである」
飲み・食い・書く 「彼らは実に鮮魚の味をよく知っていた。(中略)そういう微妙な鮮魚の味は、山葵や生姜を用いると、どこかへケシ飛んでしまうというのである。ブッかけは蛮習かも知れないが、醤油のみで食する方が真に鮮魚の味がわかるというのである」
食味歳時記  白魚汁を食し「こんなウマいものは、一生のうちでも、滅多に食えぬ」と感動し、では、旅館の女将が金魚鉢に入れて東京へ持参した白魚を「あの土地風の白魚汁にしたのだが、味は、決して、悪くなかったにしても、あのヌメリの舌触りは、ついに、望むべくもなかった」

内田康夫が見た東予

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