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日本三古湯というと兵庫の有馬温泉、和歌山の白浜温泉、そして我が道後温泉と言われています。そのうちでも文献上、最も古いと言われているのが道後温泉です。「伊予国風土記」には大国主命と少彦名命の伝説が書かれています。大国主命と少名彦命が伊予国を二人で訪れた際、少彦名命が急に気分が悪くなり、寝込んでしまいました。大国主命は大分の速見の湯を伊予国に引き、小さな身体の少彦名命を手のひらにのせ、温かい湯で入浴させると、不思議にも身体の調子が良くなリました。少彦名命は喜びの余り、側にあった石の上に立ち、「しばらく昼寝をしていたようだ」と叫び、その上で舞ったといいます。この少彦名命が躍った石は「玉の石」と呼ばれ、道後温泉の傍らに置かれています。
「風土記」には続いて温泉の効能が書かれています。霊験あらたかな温泉は今でも疾病に苦しむ人たちの病を癒し、健康を保つ薬となっている、と。次が行幸の記録。景行天皇と后、仲哀天皇と神功皇后、聖徳太子。「日本書紀」には舒明天皇、斉明天皇と天智天皇・天武天皇の名が書かれています。また、万葉集には有名な額田王の「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎいでな」と山部赤人の長歌が載っています。山部赤人の歌は道後温泉本館、神の湯の湯釜に彫られています。
有馬温泉は「日本書紀」に舒明天皇、孝徳天皇の名前。白浜温泉は有間皇子が出てきますが、道後温泉よりは時代が新しいようです。また、伝説の域は出ませんが「日本書紀」によると允恭天皇(441〜453)の子供、軽太子と軽大郎女の恋愛による処罰を受け、軽大郎女が伊予に流されたと伝えられています。「古事記」によると軽太子の穴穂皇子攻撃の失敗後、軽太子が伊予の湯に流され、後を追って軽大郎女が伊予に赴き、二人ともに自死を遂げたと伝えられています。
このように文献に残された年代の古さでは道後温泉は日本一のようです。
参考資料/温泉今昔 日本交通公社
温泉百話 中村昭著 青弓社
愛媛県百科大事典 愛媛新聞社
道後温泉 松山市
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